2012年2月13日月曜日

エゴによる悲劇の例

昨日の「ESP講座」は、結構ハードだったですね。何だか持っていたエネルギーを全部出し尽くした感じでした。講座終了後に「リーダーズ倶楽部」で10名の他の質問にお答えしたのですが、質問者の方々は「人生の生き方に大きな衝撃が起きました」という感想でした。
その後、スタッフ学習会へと続くのですが…本当にやりきった感じです。本当は一拍置きたいところなのですが、天外は走ります。

そして、今日の予定は「高等学院質問会」が14時から、約2時間、そして、2件のカウンセリングの予定が入っています。学院の質問会は、多岐にわたっての 質問がでましたね。「トイレットペーパーには、どうしてシングルとダブルがあるのか?」「友達とは何か?」「お金とは何か?」…真摯に質問に答えさせて頂 きました。わきあいあいの良い感じの時間でした。

それと、ついに沖縄で天外レギュラー番組がスタートします。「ばっちゃんこ!」です。収録や細かい部分は、これからですが、正式に考査が通りました。皆さんにご報告です。いぁ~今日も目まぐるしい一日でした。では、又明日!



今日は「エゴによる悲劇の例」を記載します。

<エゴによる悲劇の例>
では、子供時代の話しをしましょう。

0から13才までの間に人格が形成されます。

親には悪気はありませんが、一般的に子供に悪影響を与えています。

アメリカでの調査によると、アメリカの平均的な家庭に育った子供は子供時代に「ノー」、「ダメ」、「できない」等の否定的な言葉を14万回聞いていると言われています。肯定的な言葉や誉め言葉は、否定的な言葉の10%程度しか聞いていないそうです。
これにより人は自分はできないという恐怖により多くさらされています。子供が小さいときには、親はどのようにして子供をコントロールするでしょうか。やはり、恐れを使います。罰を与えるという脅しを使います。

例えば、「オバケが出るよ。」と言ったり、「こんな悪い子は神様は要らないよ。」と言ったり、「悪魔が来るよ。」と言ったり、「体罰を与える。」と言った りして、恐れの気持ちによりコントロールします。子供は、「何をやってもうまく行かない。」と言う間違った観念を持ってしまいます。自分の行動に責任を持 つという事にあまり魅力を感じなくなります。「あの子がやった。自分は悪くない。」という言い方をよくします。

ある人の調査によると、二人の子供がやった事について、別々に意見を聞くと、双方とも「あの子が悪い」と、言い張っていることが多いのだそうです。子供が 人のせいにするのは病的な事ではありませんが、多かれ少なかれ人は自分の行動に責任を取りたくないような気持ちで育ってきています。

どういう仕組みかと言うと。

例えば、啓子さんがまだ3才だったとします。
啓子さんは床に座って人形と楽しく遊んでいるとします。自分のエゴの部分と常にコミュニケートしています。エゴは啓子さんに向かってイメージとか、考え、 印象とか、感情とかの色々な形で何かを伝えようとしています。或いは心の中でエゴと話しをしているかも知れません。ほとんど意識していないのと同じ微妙な レベルでそれを行っています。

啓子さんが、そうやって、人形と遊んでいる時、エゴは、「ちょっと教えてあげるね」と言います。そして、その情報に従って啓子さんは何かの決定をしなければならないのです。
そうです、人生とはどういうものかと言うことは、既に3才にして分かってきています。つまり、「もし、自分が何かを決めたときに、回りの人が気に入らないと、自分は嫌な目に会う。」という事が分かっています。



〜〜 中略 〜〜

エゴはコントロールをもらってどうするでしょうか。

エゴは吸収と反射しかしないので、そこには論理も理性も意志の力もないのです。何のプログラミングもないのです。
この時点でエゴができる事は、更にまた何かを吸収して反射するそれを続けるだけです。啓子さんは、生後8カ月であろうが、3才であろうが、5才であろうが、情報は外から中にやってきて、コントロールをエゴに明け渡してしまっています。
しかし、エゴには選択肢が二つしかありません。外から情報が来てしまっているので、エゴにはもはや中のものを反射するしかなくなります。エゴは、結局得る 事はできないので、もう一度啓子さんに「決定しろ」という情報をあげる事しかできないのです。エゴには決定できないので、啓子さんに反射をするだけです。
この瞬間エゴはもう一度、吸収と反射を繰り返すだけです。外側から情報を吸収して、内面の意識に反射するのと同じように、内面の意識から情報を吸収して外 側に反射するという事もします。すると、何が起こるかと言うと、それまで啓子さんが持っていた非常にすっきりとした世界への知覚の代わりに、主観的な意識 にあったものが外に反映されて、突然あたりが濁ってくるのです。







〜〜 中略 〜〜

人から何か言われ、色々な言葉が自分の頭の中に入ってくるまでに、その言葉が、他のものをくっつけてしまった状態で入ってくる事があります。なぜそうなる かはこれで分かったと思います。やってきた情報が、今エゴの中にあるものの中を通らねばならないので、その間に歪んでしまうのです。ですから、それに対す る反応も純粋でなくて歪んでしまうのです。その情報に基づいた決定も純粋な決定ではなく歪んでしまうのです。エゴが自分の敵になるというのはこういう事で す。

エゴが自分にとっての唯一の敵なのです。人が自分に何を言っているのかが問題ではなくて、エゴがそれをどう解釈するかが問題なのです。
ある友人から、自分の着ている服について、「その服は素敵なんだけど、今のあなたにはそぐわないかも知れない。」と言われた時、友人は自分の事を知ってい るので、「もしかしたらそうかも知れない、この組み合わせは、私には合わないかも知れない。」と思います。または、機嫌が悪くなり、ムッとするかも知れま せん。

もし、自分の母親が権威的な人で、子供の時から「髪をこうしなさい」とか「もっと、綺麗に洋服を着なさい」とか、身なりについてうるさかったとします。

そうすると、友人が、服装について何か言ったとたんにどういう気持ちが起こるかと言うと、友人は「自分の事が嫌いなんだ、すごく趣味が悪いと思っているんだ。」と思い、機嫌を悪くします。そういう事は誰にでも起きています。
これのいちばん悪い面と言うのは、こういうエゴがあると言う事を、普通は意識していないことです。つまり、エゴがやっている事を自分そのものだと思ってしまいるのです。

エゴが言う事を全て信じてしまっているのです。


〜〜 中略 〜〜


どこからか情報が入ってきた時、どこを向いても「悪い子だ」とか、「神が罰を与えた」とか「自分には価値がない」というふうにばかり見えてしまいます。人の下す決定や行動は、エゴによりかなり制限を受けています。




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