2012年2月2日木曜日

量子力学と仏教の関係性

昨晩から降り始めた雪で名古屋の街並みは、「銀世界です」美しい。この一言につきますね。街角ではしゃぐ子供達が「無邪気」で、創造主の子である事を証明しているようでした。
昨 日お会いした「IT会社の社長」とのアポイントが楽しくて、時間があっという間に過ぎました。「iPhoneアプリ」を「アップルストア」へ提供している 会社でした。そこで、天外のアプリをつくりましょう!という事になりました。わくわくします。詳細はまた、お知らせします。今日は、個人セッションが2件 と高等学院の授業収録です。



今日は、「量子力学と仏教の関係性」について、記載しましょう。

仏教と最先端科学・量子力学との共通点

それはともかく、量子力学と仏教の共通点の多いことには改めて驚く。まず量子力学でいう、一個の素粒子が宇宙の隅々に時間も超越して非局所的に広がっているという事実を、どう仏教は説いているのだろう?
仏 教では、宇宙(時間と空間)のいたるところに無数の仏が存在するとしている。宇宙は仏で充満しており、自己の内にも、宇宙空間のあらゆる場所に仏は連座し ていると説いている。このように宇宙の本質そのものを仏とするのが仏教の基本的な考え方で、その頂点に位置するのが大日如来である。
これは、一個の素粒子が宇宙の隅々に非局所的に広がっているという量子力学の結論と非常に似通った考え方といえるだろう。

仏教徒の目標となる「悟り」の要点には、三法印(さんぽういん)というものがある。
一は「諸行無常」といわれるもので、時間・空間的にどんな事物も不動のものはなく、必ず生滅・変化するものである。
二は「諸法無我」といい、空間・時間的にすべての事物は互いに関連し合いながら存在していると教えている。
三は「涅槃寂静」で、変化して止まない自己や万物を固定視し(我見)、それに執着すること(煩悩)を止めれば、平安な悟りの境地(涅槃)が到来するというものである。

この三法印を存在論的に見れば、独立して固定された自我というもの〜〜



〜〜と教えている。

こ のように、仏教では外部の客体物にこだわることを徹底して嫌い、自己を見据えることのみを重視して、外部客体への関わり合いとなる他人への「愛」を真っ向 から否定しているのである。自己の意識が創り上げた客体物に関わり合っても何の意味もないからで、「人の意識が現実を創造し、客観的な事物は存在しない」 という量子力学の結論と相通じるように思えるがどうであろう。釈迦の有名な「天上天下、唯我独尊」(この世は自分のみの存在)も同じ意味であろう。


キリスト教も仏教と同じことを述べている

仏 教が「自己愛」のみといえば、隣人愛を強調するキリスト教と真っ向から対立するように思えるだろう。たしかに、キリスト教は、神とキリスト(復活したイエ ス)への信仰を中心に、神と隣人への愛を信仰のポイントとしている。仏教は、一切を無常・無我(空)と見て、その悟りの上に立って人への渇愛を消滅させる ことを第一義と見なしているので、一見すると正反対のように見える。しかし、深く掘り下げてみると、両者は結論的に同じことを述べていることが分かる。
仏教では「空」を宇宙のすべてとするが、そうなら自分を含めたすべてのものは同じ空の産物で、自分と同一の存在体となる。そのように見れば、すべての事物(他人)も自分を愛するように愛することが出来ると説いているわけである。




〜〜 中略 〜〜



い ま大きな注目を集めているバーチャル・リアリティーという視聴覚メカも日本では「仮想現実」と訳しているが、仏教でいう『仮相の世界』も同じ表現を使って いる。すなわち仏教でいう「この世」の仕組み(三界は唯心の所現で「仮相の世界」)と、現代のバーチャル・リアリティーも同じ意味となってくるわけであ る。

では、また明日!


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